Homeニュース島崎和歌子語るアイドル時代の苦悩「バラエティしか道なかった」

島崎和歌子語るアイドル時代の苦悩「バラエティしか道なかった」

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制服姿がかわいすぎる島崎さん

■フミヤがしいたけって言ったことに大興奮

島崎さんが小学校高学年になるとチェッカーズ旋風が巻き起こり、デビュー曲『ギザギザハートの子守唄』(’83年)と『涙のリクエスト』『哀しくてジェラシー』(ともに’84年)の3曲が、ベスト10内に同時ランクインを果たした。

「すごい快挙だったんでしょうけど、当時は子どもだったので“3曲も聴けてラッキー”くらいにしか思っていませんでした。『ザ・ベストテン』と同じくらい好きだった『ザ・トップテン』(’81~’86年・日本テレビ系)で、フミヤさんが大嫌いなしいたけを食べた後に『涙のリクエスト』を歌って、歌詞の一部を『さいごーのー、しいたーけー』と変えたものだから、客席から大歓声が上がったんです。私もテレビの前で『フミヤがしいたけって言ったよ!』って大コーフンしたのを、48歳になるのに、まだ覚えていますね」

同時期に見たおニャン子クラブからは、ファッションの影響も。

「メンバーがおそろいで着ていたセーラーズの洋服がすごく欲しくて。でも、高知ではなかなか手に入らず、近所のスーパーで“セーラーズっぽい”服を買ってもらったんです。すごくお気に入りで、中学の修学旅行にも着ていきました」

田舎育ちの島崎さんにとって、キラキラした芸能の世界は、テレビの中だけに限られたもの。

「おニャン子クラブって“隣のお姉さん”的なコンセプトだったと思うのですが、私にとっては、かなり遠い存在でした。だいたい当時のアイドルの“全国ツアー”って、札幌、東京、名古屋、大阪ときて、私のいる四国は飛ばして、福岡っていうパターンが多かったですもんね」

だから中3のとき、「ロッテCMアイドルはキミだ!」のオーディションに応募はしたものの、受かるとは夢にも思っていなかった。

「1年分のお菓子がもらえるとか、そのくらいの動機でしたね。まったく接点のなかった芸能界に、少し関われるかもしれないという思いもなくはなかったですが。友達と応募用紙を投函するとき、すごくドキドキして、でも、それだけで満足。後はすっかり忘れていたくらいです」

ところが夏休みに入ると、書類審査を通過したとの電話連絡が。歌の審査があると聞き、ドラマ『毎度おさわがせします』(’85~’87年・TBS系)でブレークした中山美穂の『50/50』(’87年)を歌おうと、やはり『ザ・ベストテン』で録音して、練習した。

「オーディション会場がアルタだったから、新宿のホテルに泊まったのですが、初めての東京で、高層ビルに圧倒されてしまい、どこにも観光に行けませんでした」

結果は惜しくも準グランプリ。だが、帰る準備をしていたときに、事務所の社長がスカウトしてくれたという。

「こんなチャンスはめったにありませんし、母も『娘はいずれ家を出ていってしまうもの。それが少し早くなった』と応援してくれました。まあ、まだ家を出たわけではなかったので、いまではいいネタになっているんですが(笑)」

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